そんなわけで、また日本ミュージックシーンの巨人・井上陽水についてである。
初期の井上陽水のジャケット写真が酷すぎる! という問題について考察していきたい。令和時代なのにそれは考察すべき問題なのかと言われれば身も蓋もないが、とにかく考察していくのである。
まず、井上陽水という名前でのデビューは、72年3月1日発売のシングル『人生が二度あれば』。いきなり名曲です。でもジャケット写真は・・・。
・・・よくわからない。暗いのはわかる。
そして、ファーストアルバム『断絶』が72年5月1日に発売。
そのジャケットがこちら。
何を伝えたいのか、これまたわからない。左は男子学生より、まだ女の子とかの方がよかったのでは? 楽曲的には後にシングルカットされる「愛は君」とかいい曲もあります。でも陽水にしては直線的な歌詞が多いですね。ちなみにこのアルバムはスマッシュヒットしました。つまり陽水は、不遇のアンドレ・カンドレ時代があったにしても、井上陽水で再デビューしてからは、ず~っと売れているということなんですね。すごいです!
アルバムからシングルカットされた『傘がない』(73年7月1日発売)のジャケットがコレ。この写真、誰かのお気に入りだったのでしょうか?
この頃はまだサングラスをかけていません。ていうか、アンドレ・カンドレ時代はサングラスをかけていたのに、井上陽水として再デビューする時にはずしたんですね。ちなみに74年のアルバム『二色の独楽』シングル『夕立』から、またサングラスになります。
で、問題はコレ。『陽水II センチメンタル』(72年12月10日発売)。
収録曲は『氷の世界』と肩を並べるほど素晴らしいのに、このジャケットはないでしょう。土手で子供たちに石を投げられている写真ですよ! どうしてコレをジャケット写真に採用したのか、まったく意味がわかりませんw
「東へ西へ」が、「白いカーネーション」が、「神無月にかこまれて」が、「能古島の片想い」が・・・名曲の数々が入っているのに。ちっともセンチメンタルじゃない写真だと思うのは私だけでしょうか?
ヒットした「夢の中へ」(1973年3月1日発売)もこんなジャケットでした。もっといい写真あったでしょ!!!
B面の「いつのまにか少女は」も名曲なのに・・・。
連続ヒットした名曲「心もよう」(1973年9月21日発売)。
なんのひねりもない写真ですが、今までが酷すぎたので、とてもまともに見えます。
だがしかし、73年12月に発売されたアルバム『氷の世界』は、初めてよいジャケットになりました! 日本初のミリオンセラーになれたのは、楽曲はもちろんですが、ちゃんとしたジャケットだったというのも少しはあるのではないでしょうか。
氷の世界-40th Anniversary Special Edition (DVD付)
↑ほらカッコイイ!
しかし、『氷の世界』でスーパースターになったからといって、初期の井上陽水作品のジャケットセンスを侮ってはいけません。1974年4月1日発売のシングル「闇夜の国から」のジャケットがコレ。
・・・センスのかけらもありません。
まぁその後は、陽水がサングラスをかけだすと同時に、なぜかジャケットもちゃんとしてくるのですが、いったいなんだったのでしょうか? 初期のジャケット写真とデザインについて、プロデューサーの多賀さんは、そして陽水本人は、どう思っていたのでしょうか。謎は深まるばかりですw