70年代研究所

70年代~80年代!あの時代にタイムスリップ!

キックの鬼 沢村忠フォーエバー

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先日YouTubeで、キックボクシング“反逆のカリスマ“魔裟斗と、“総合格闘技のエース”朝倉未来が対談していた。それを見ていて驚いた。魔裟斗が日本のキックボクシングの歴史を話している時に、沢村忠の名前を出したら、28歳の朝倉未来は沢村忠を知らなかったのである! これには魔裟斗も驚いていて、「えっ⁉ 知らない? 残念ながら先日亡くなられたけど。キックの鬼だよ!」と言ったが、朝倉未来はまったく知らなかった。キックボクシングと総合格闘技の違いはあるにせよ、同じ格闘家なのに・・・。でも考えてみると、沢村忠が活躍していたのは50年前。実に半世紀も前の事なんだな。格闘家の朝倉未来が知らないということは、街を歩いている若者は誰も知らないんだろうなぁ沢村忠。

 

沢村忠と言えば、70年代中頃まで絶大な人気と実力を誇ったキックボクサーである。梶原一騎原作、沢村忠が主人公の漫画『キックの鬼』は、アニメになり、映画になり、大人気だった。そして現実にもゴールデンタイムで沢村の試合は放送され、連戦戦勝。何と年間20試合以上戦っていたのである。普通のボクサーやキックボクサーは年間多くて3試合くらいなので、考えられないタフさ加減である。しかもほとんど全部ノックアウトで勝っているという・・・。

 

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少年漫画誌をはじめ、様々な雑誌の表紙にもなっていました。

 

キックボクシングの生涯成績は、241戦232勝(228KO)5敗4分! あまりの強さにヤラセ疑惑が出るほどだった。でも沢村忠は、元々60戦無敗の空手チャンピオンだったし、本当に強かったんだと思う。ただ、沢村から始まったキックボクシングなので、戦う相手がまだ少し弱かったのではないでしょうか。ムエタイ選手とも戦ってたけど、ルールが少し違うしね。

 

試合も派手でした。判定まで行くことなんてほとんどなくて、KO! KO! KO! さすがに必殺技“真空飛びひざ蹴り”はたまにしか炸裂しなかったけど、キックもパンチも大振りですごかった。超タフで超攻撃的なスタイルなので、ガードも低いし、沢村が打たれたり派手にダウンすることもあって、ドキドキしましたね。当時は相手選手も沢村も、ダウンするとなぜかマウスピースを吐き出すという謎のお約束もありました。ダウンの応酬もよくあって、現実と漫画がごっちゃになるような、すごい試合の連続だったのです。

 

とにかく、当時の子供たちは、現実の沢村忠と、アニメ『キックの鬼』に熱狂しまくり。

♪行くぞゴングだ  飛び出せファイト
出てくる奴らは  ワン  ツウ  パンチ
今だチャンスだ  真空飛びひざ蹴り
キック  キック  キックの鬼だ

と、なんと沢村忠本人が歌う主題歌もみんな歌っていました。キックだけじゃなく、歌もめちゃくちゃうまくてビックリです。

 

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漫画は『少年画報』に1969年から1971年まで連載。1970年から71年までTBSでアニメ化。主題歌の作曲は小林亜聖。ちなみに『キックの鬼』の後番組は『帰ってきたウルトラマン』です。沢村忠はリアル・ウルトラマンみたいな存在だったんですね。

 

キックボクシング創始者であり、歌謡界では五木ひろしも育てた、屈指の名プロモーター野口修に発掘された沢村忠。1973年には三冠王の王貞治を抑えて、日本プロスポーツ大賞を受賞しています。1976年に引退してからは表舞台から姿を消し、先日亡くなられてしまいましたが、当時熱狂した子供たちの胸の中には、熱く残っているのであります。

 

いかがだったでしょうか。
沢村忠その時代をもっと知りたい人は、こちらの本がお薦めです!!!

 

 

 

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